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なぜ私は【海外に住むこと】にこんなに魅力を感じるのか。人生の折り返しで振り返ってみた。


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人生の折り返し地点。色々と考える事があるもので、「何故私は海外に住んでいるのか」を心理学的な視点も含めて考えてみました。

というのも、偶然に見てしまった「過干渉の親を〇害してしまった」子供のニュースを見たから。

今回の記事は、情報を提供というよりは、軽く自伝の様なものなので、読みたい人は先へ進めて欲しい。

いわゆる「毒親」に育てられたと思っていた私の、今に至るまでのお話になっています。(少し、虐〇をイメージする表現があるので、嫌な方は控えて下さい)

 

はじめに

まず初めに言っておきたいのですが、今現在の親子関係はとても良好です。

更に、「毒親に育てられたと思っていた私」という表現を使うのも、今、母親を毒親だ!とは思っておらず、憎んだりとかはありません。

しかし、思春期真っ只中の子供に与える親の影響とは、計り知れないものがあり、子供の思考の癖を形成するのに充分な影響があると思い、今回この記事を書かせていただきました。

 

ここでは、いわゆる「毒親」と言われる親を否定するつもりも、また「育てられた子供」に対して何か言及するつもりはありません。(千差万別、度合いも重さも違うので)

ただ、自分の人生を振り返って、「あそこでこうしていたら…………」という地点は沢山あり、自分の人生は【自分にしか】つくることができないと思った事を綴ったお話になります。

 

私とパートナーの背景

私は現在、将来を約束した同性のパートナーとカナダに住んでいます。

日々の暮らしは、それはそれは幸せなもので、自分がこんな風に人を必要と思えたのか!と驚くほど心がリラックスしているのを感じます。

しかし、そんな私たち。性格や育った環境が正反対といっていい程違うんです。

 

<過干渉だった母を持つ私の環境>

  • 叩かれるなんて日常茶飯事、手だけではなく、モノで叩かれる。
  • テストの点数が下がるとお仕置き(ご飯抜き・家を追い出されるなど)
  • 異性との交遊(彼氏を作る)などは、罵られる。(汚い・遊び人・男好きなど)
  • 中学からはご飯とお風呂以外の時間は勉強(サボってないか抜き打ちチェック)
  • 友達と遊んで、帰りが遅いと鬼電・罵倒・家に入る権利を与えられない
  • 高校生になると、「子供の分際で親に洗濯をさせるな」と、私の洗濯物だけ庭へ捨てられる→機嫌が悪いと毎回。
  • まるで私の人生を自分のモノの様に話す

 

<自立させてくれる親を持つパートナーの環境>

  • 叩かれたことなんて無い!
  • テストの点数は気にしたことが無い。(怒られない)
  • 年相応のお付き合いには寛大
  • 勉強はさせるものではなく、「本人がしたければ」というスタイル
  • 遅い時間になると、心配しているよ!と連絡が入る。
  • 食事や洗濯など、「してやってるから感謝しろ」なんて言われたことは一度もない
  • 子供の人生は、その子本人が決めるべきだという方針

 

面白いほどに正反対でしょう? 私が初めてパートナーに会った時の印象は「かっこいい、自立した精神を持つ人だな。自分を愛することが上手な子だな。」というものだったのですが、育った環境を話して納得。

 

私の場合、このパートナーとの出会いが、

「過干渉の親から完全に自立」でき、

「自分の人生を自分で幸せに歩む」

という事を本当に理解できた時だな、そして母もまた私から自立し、子供の人生はその子のモノという事を理解し、認めてくれた時だな。と思います^^

 

過干渉の母と思春期の私の関係性(当時)

それでは、そんな過干渉の母と思春期真っ只中の私はどんな日常を送っていたのか、少しお話させていただきますね^^

 

これは、よく聞かされた話なのですが、幼少期(2~3歳)に母が起こり散らかし過ぎて自家中毒を起こした私。気性の荒い母の怒る声に、敏感に反応し、救急へ運ばれた時には、お医者さんから「お母さんのせいだよ」と叱られたそう。

これは、良くも悪くも「子供はこんなに親に左右されるんだ」と思った瞬間だと思います。

 

次第に教育ママの片鱗を見せ始め、3歳からピアノを習い、4歳の時にはIQテストを受けさせられる。

自分で言うのも何ですが、運動神経もよく、割と何をしても上位にいけた私。いわゆるスポーツもできる優等生という立ち位置が、母の干渉を余計に強くしたキッカケだったと思います。

 

中学に入ると、テストの順位がはっきりと出る様に。あろうことか、初めてのテストで学年1位を取ってしまったその時から、学業への過干渉が始まりました。

そこからは、1位以外は全て「落ちた」と判断されるため、キープしなければというプレッシャーがすごかったです。

 

ただ、私が根っからのいい子ではないため(笑)、あまりに過干渉の時は反発をするように。。。

時には母と、つかみ合い、髪を引っ張りあい、家の壁は穴だらけ。。基本倍返しの母。親子喧嘩で故意ではなく母のモノを傷付けてしまった時なんて、私の宝物は無残にもボコボコに壊されていました。(お小遣いで、コレクションしたCDや、洋服などは2度と使えない姿になっていました)

 

この頃の私は、自分自身まだまだ精神的に子供だったので、絶対的な強さを持つ(金銭的にも)母に逆らうものの、その代償は大きく、心を強く曲げて従うしかない時も多くありました。

 

何度も、「頭がおかしくなった振りをしてみようか。」「どうやったら、私の声を聞いてくれるんだろう」と作戦を立てて挑んでみるものの、「学費を出さないぞ」「家に住ませてあげないぞ」「家のお金で買ったものは食べるな」としか返ってこないので、心の底から悔しかったのを、今でも覚えています。

 

高校までこんな生活は嫌だと必死で考え付いた作戦が、

 

「高校はあなたの望む所へ入学する!でも、大学は行きたくない。
その頃には、弟にお金をかけた方がいいから、私は女だから短大か専門でいい。その条件をのんでくれたら、高校受験頑張る」

 

というもの。母の興味はだんだん長男である弟へ移っていたので、汚いですが利用させてもらう事にしました(弟ごめん🙇)

意外とすんなりとこの条件をのんでくれた母は、高校3年間、勉学について干渉することは一切なくなりました。

 

しかし、異性交遊についての干渉がはじまり、当時お付き合い(高校生のかわいいものです)していた方との写真が見つかった時には、「遊び人・男好き・商売女・公衆便所」と罵られ、まるで汚いものを見るようでした。

これには、私も自分を失うくらい激怒し、恥ずかしながら大暴れしたのを覚えています。。

 

私の場合、深刻な毒親問題に至らなかったのは、ここで母の興味が離れたからだと思います。

中学と高校の6年間、過干渉だったものの、短大に入った頃には、自分でお金を稼ぎ自由を手に入れ、ずっとやってみたかったバンドでドラムを始め、そういった事を責めてくることもなくなっていました。

「あれ?あんなに過干渉だったけど、自分で稼いだお金には何も言わないんだ!」と、始めて少し認めてもらえた気がした瞬間でした。

 

親の過干渉は当たり前!?

人生の折り返し地点に差し掛かった私。(年齢がばれちゃいそう💦)

子供を育てた経験はありませんが、今では親の当時の思いや気持ちが理解できる様になりました。

私の母の場合は、「行き過ぎた子育て。」 第一子で長女である私を「完璧に」育て上げたいという母の強い思いが、思春期の私に重くのしかかったんですね。

 

私には、7歳離れた弟がいるのですが、その子を育てる時は母も2人目の子育て。余裕があったんですね^^ 

しかし、その余裕は私には「可愛がり方の差」に感じて、より一層「母の求める像」になろうと無意識に思っていた自分がいたんだな。と思います。

 

今では、母と「あの時の母さんは、キチガイの様だったよ~。」なんて笑い話にしていますが、当時は小さい「家族」という世界でしか生きられない子供だったので、絶対的な支配力を持った母が脅威でした。

 

自分の将来を決める基準に「親」が常にあった

「このくらいの親子関係はよくある」とは思います。特に昭和なんて手を上げるのは当たり前の時代。しかし、子供の声を聴いていたかどうか。がカギだと思うのです。

 

当時の私の頭の中では、母が自分をマリオネットの様に操ろうとしていて、でも自分はそんなにヤワじゃないぞ!と必死で糸を絡めながらもがいている。そんなイメージでした。

この頭に焼き付いた思考はいつまでも頭の中に残り、大人になった後も、将来を決めよう!という時に常に「母にどう反応されるか」を気にしている自分がいる事に気付きました。

母もまた、私が大人になる頃には「もう子供じゃない。口を出し過ぎない様にしよう。」と思う様に努めていたらしく、母も思考の癖があったんだと思います。

 

私も、急にお金を貯めて海外へワーホリに行ったりと、自由にはできるようになっていたので、大人になる頃には、何かをする事に怯えはなかったのですが、節目節目で干渉の癖が抜けない母とぶつかる事がよくありました。

 

20代半ばで、海外にまで一人で飛び出して、行動に移しているにもかかわらず、「今後どうするか」の先には常に母がいる。

「母はどうして欲しいんだろう」

「母はどうしたら、喜び褒めるのだろう」

「挑戦してみたいけど、、母とまた喧嘩になるだろう。」

 

友達に、「あなたの人生なのに、親は関係ないよ。」と言われ、無意識に「母が」と口に出している自分にも嫌気がさしました。

 

この思考の癖がちょっと厄介なもので、母は無条件の愛をくれるタイプではないから、きちんと報告しておかなきゃ、何があっても助けてはくれないだろう。と本気で思っていました。

 

絶対的な距離を取る必要性

そんな私と母の関係性に、少し変化が出てきたキッカケとなったのが「私の海外長期滞在」

1年だけ。の約束でワーキングホリデーでカナダに来た私は、カナダだと自分のやりたい仕事でお金を稼ぐことができる(料理人)と知り、就労ビザを取る事に。

当然猛反対をする母に、「こっちの方が稼げるから、貯金してたまに仕送りするから。」と話し、トータルで5年半、カナダに滞在したのです。

 

始めのうちは、「親を捨てるのか」と、なんとか帰ってこさせようと必死だった母も、次第に諦め、山登りを始めたり趣味を見つけたり、と自分の時間を楽しむようになり、「好きにしなさい。」の一言をくれるようになりました。

 

近くにいると、頭ごなしに暴言をまくしたてる母に、「キレる」という方法でしか、声を届ける事ができないと思っていた私も、遠く離れた電話越しだと、「一回でいいから、ゆっくり話を聞いて?」と落ち着いて話す事ができたのです。

 

2年に一度の一時帰国でしか会えないようになってからは、落ち着いた母の姿も垣間見える様になり(歳をとったのもあるでしょうが)、不器用で愛情深い人だったことに気付く場面が多くありました。

 

そんな時、弟も結婚したということもあり、「子供は巣立っていった。自分の人生を生きよう」と話す母に、

「この人は、自分の人生を子供に重ね合わせ過ぎただけだったんだろうなぁ。」

と少し、当時の時代の犠牲者なのではないか。という気にもなりました。(長男の嫁として嫁いだ母も様々なプレッシャーを抱えていたはず)

 

海外に住むようになってからの母との関係

今現在、日本で出会ったパートナーと、カナダで永住している私ですが、母との関係は凄く良好で穏やかなものになりました。

幼少期から思春期までの私は、無意識下で「母にとって、最愛の子とは、いい仕事をして、結婚して子供を産んで、家を買って、老後の母たちと楽しく過ごす」そんな子だろうと思っていました。

しかし、今の私は、同性のパートナーと一緒になり、子供は望まず、海外で暮らす。という真逆といっていいもの。

これは、伝えるのにハードルが高いぞ~と思っていたのですが、意外と伝えるとアッサリ受け入れてくれ、驚きました^^

 

寧ろ、私が幸せなのかを考えてくれ、今では「2人共、自分の娘の様なものだ」と、2人で歩む人生を見守ってくれています。

 

母曰く、私も変わった様で、お互い「長い間の思考の癖と思い込み」が邪魔をして、素直に話せて無かったんだな、と。そして私がそう変われたのは、無条件に大切にしてくれ、無償に愛情をくれるパートナーと会えたからだな。と思いました。

 

今では、母は死ぬまで見る事なかったであろうカナダの景色を見たいと、カナダ旅行を計画中。堅苦しい時代を生きた母に、世界はこんなにも自由で広大だよ。と見せてあげたいですね。

 

親も時間をかけて「親」になる

いつも思っていた事があるのですが、母親や父親のための学校があるといいのではないかと思う。

きっと昔の人は、「そのために祖父や祖母、叔父や叔母がいるんだよ。頼りなさい」と言うでしょう。もちろん、核家族化した現代よりも、みんなで子育てをしていた時代かもしれませんね。

 

しかし、子の愛し方や𠮟り方は、そのまた親から貰った方法しか知らないのも事実。

私を叩き、怒鳴っていた母もまた、祖母に叩かれ、怒鳴られていたと聞き、連鎖するんだと思いました。

母親は絶対的な恐怖を与えて支配しなければいけないと、無意識に刷り込まれていたんだと思います。

子供を育てる。簡単に言うけど、世の中で一番難しく、責任の重い事だよなぁ、と。合わないからやーめた。ができないって、一体どれだけのストレスがあるのだろうって。

 

母親の授乳講座とかはありますが、もっと発達心理や臨床心理や社会心理的な目線でのサポートがあったら、ゆったりと子育てできるのかな。。と。

親が「親」になるサポートの充実した社会が実現してほしいものです。

 

まとめ

今回は、人生の折り返し地点に立つ今、ふと思う事を綴ってみました。

私の住むカナダでは、日本以上にネグレクトやアダルトチルドレン、機能不全家族が多いと聞きます。

私が伝えたいのは、海外に住むことが良いのではなく、悪影響を与える時は、例え家族でも遠ざかる事がお互いにとって良く働く時もある。ということ。

永遠に関係がこじれてしまうまで、自分を我慢させない事も大切かもしれませんね。